介護 母が教えてくれたもの
おはようございます。
冬の気配を感じる、曇り空の朝です。
連休明け、皆さまいかがお過ごしですか?
在宅介護と私
もう13年くらい前になります。
母を在宅介護しました。
拡張型心筋症による心不全。
x線写真を見せられた時、
愕然とし・・・。
彼女は1週間ほど生死の境を
さまよったのではないかと思います。
ベットに横たわる母を毎日見舞いながら。
水でおぼれていた母の心臓は
徐々に水が引いていき
入院から数か月後、退院することができました。
あれは奇跡だったと思います。
子どもたちがそれぞれ家庭を持ってからは
ずっと一人暮らしをしていました。
入院をきっかけに、
我が家での在宅介護。
施設への入所。
再入院。
そして旅立っていきました。
2度目の入院の時は、
命の期限を感じていたのかもしれません。
ぎりぎりまで入院を拒み続けました。
入院してしまえば、
自分が消えてしまいそうな・・・・・。
病院のベットから眺める空は
どんな景色だったのでしょうか?
近くで消えていく命を見つめ
どんな思いだったのでしょうか?
今だから思える母の気持ち。
人が老いていく様を
見せてくれたような気がします。
そんな母の気持ちを受け止められず、
やさしくできない私がいました。
「在宅介護」と仕事
幸いなことに退院する頃には、
歩けるまでに回復していました。
週1回の訪問看護と
週3回のデイサービス
心臓が悪いので、送り迎えをしていました。
母の白く痩せた手をひきながら。
ショックでした。
親が老いるということ、
心で受け止めた感じがします。
母はおむつのお世話にもならず、
認知症もなく、
自分のことは自分でできていました。
でもね。
夜中、母がトイレに起きる音で目が覚め。
朝、部屋から出てこないと、
”生きているかな・・・?”
日々ついてくる不安でした。
そして、私自身が忙しすぎました。
母が倒れたころ、
ブライダルのお花の仕事をしていました。
息子もまだ中学生。
毎日のお弁当作りと駅の送り迎え。
そして母の介護。
私の我で母を自宅に連れてきたのに。
日々募っていくストレス。
兄妹への感情。
だんだん自分を失っていったのだと思います。
母はそんな私を責めることもなく
受け止めてくれていました。
失ってから知る本当の有難さ。
支えられていることに気づきもせず。
自分が親になっても、
どこかで母に甘えていた自分に気づく。
その支えを失ったことに気づいたとき、
心の時計が止まってしまったのだと思います。
少しずつ止まった時計が動き始めたのは、
私に様々な気づきを与えてくれた出会い。
師匠との出会い。
ヒーリングとの出会い。
ひとつひとつ時間をかけて
解き放された私の思い。
がんばることが美徳のように聞こえるけれど、
実は苦しいだけ。
肩の力が抜けたら、物事がしっくりくる。
お点前(抹茶を立てる)も流水のごとく!
生き方も無為自然。
流水のごとくなのですね。
忘れていました(笑)
生きていること
朝、目覚めること
それさえも当たり前ではない。
当たり前のことなど何一つないのだと。
だからこそ、
今を大切に生きていきたいと思うのです。
長い長い文章を最後までお読みいただき、
ありがとうございます。
笑顔の一日でありますよう。
笑顔でお会いしましょう。