心の中に
いまを生きていますか?
命とは何か?
生きるとは何か?
家族とは何か?
こんな問いをしたことがありますか?
日々慌ただしさに、自分さえも見失いがちなこの時代。
不安、心配は人間の持つ根本的な感情。
これに追い打ちをかけるように地震や災害、戦争・・・
日本経済の不安感。
こころ穏やかでいることが難しい気がします。
私は母です。
ひとり息子は成人し、独り立ちしました。
私自身は社会人になったときバブルを経験しました。
息子は中学生の時にリーマンショックを経験しています。
多くの大人たちは、子どもたちに
”これからの人たちは、なんでも出来ていいわね!”
これに対して息子の反応は
何を言っている、こんな時代に生まれて何がいいのだと!
こんな時代に生みやがって!
どこが良いのだ!
心の声が聞こえました。
いつの世もどの親も、親の思いはいつもひとつ!
”この子の幸せを祈ってる。。。”
ただそれだけです。
親のしあわせ=子どものしあわせ
どこかで勘違いして
”もっともっと”と、子どもたちを追い込んでしまう。
親は未熟です。
子どもの存在、もっとピュアなもの
大人だから、親だからをやめて
もっと生きることに純粋になっても良いのでは!
一瞬一瞬が大切な時間
自分が幸せになることに一生懸命になっても良いのでは⁈
格好つける必要などないのです。
自分の気持ちに正直に生きる、ただそれだけです。
Facebookで素敵な文章に出会いました。
たくさんの人に読んでいただきたいと思い引用させていただきました。
写真家・星野道夫氏の詩をご紹介します。
これはマッキンレー山の麓のルース氷河で夜営中、無線で初めての息子の誕生を知り、眠れぬままテントの中で書いた詩だそうです。
ご存知の方も多いでしょうが、星野さんはTBS「動物奇想天外」撮影の時に、熊に襲われて亡くなりました。
「ワスレナグサ(Forget-me-not)」
十一月のある晩、吹雪の北極圏で、
初めての子どもの誕生を知った。
強風のためか、無線の声は遠かったが、
スイッチを切った後、
身体の奥底からふつふつと力がわいてくるような気がした。
シュラフにもぐり込んでも、
なかなか寝つくことができず、
さまざまな思いをめぐらせてていた。
ヘッドランプを消すと、
夜の闇の中から、ゴォーッと唸るような
風の音だけが聞こえていた。
アラスカを旅するようになって、
いつのまにか十六年が過ぎていた。
・・・・・・・・・・
結果が、最初の思惑通りにならなくても、
そこで過ごした時間は確実に存在する。
そして最後に意味をもつのは、
結果でなく、
過ごしてしまった、かけがえのないその時間である。
頬を撫でる極北の風の感触、
夏のツンドラの甘い匂い、
白夜の淡い光、
見過ごしそうな小さなワスレナグサのたたずまい・・・
ふと立ち止まり、
少し気持ちを込めて、
五感の記憶の中に
そんな風景を残してゆきたい。
何も生み出すことのない、
ただ流れゆく時を、大切にしたい。
あわただしい、人間の日々の営みと並行して、
もうひとつの時間が流れていることを、
いつも心のどこかで感じていたい。
そんなことを、いつの日か、
自分の子どもに伝えてゆけるだろうか。
いつまでも眠ることができなかった。
風の音に耳をすませながら、
生まれたばかりの、
まだ見たことのない生命の気配を、
夜の闇の中に探していた。
「旅をする木」星野道夫著
自分のいのちは、自分のものであると同時に、種を越え、時を越えて連綿と続く大きないのちの繋がりの中に生かされている。
前の記事へ
次の記事へ